yu-zak

【借金体験談】神奈川県 30代前半男性 yu-zakさん

35歳、IT企業の契約社員で薄給で暮らす男です。貯金はゼロです。現在、借金増額のまっただ中です。今までの人生で、24.5歳ごろ、28歳ごろと、二度、自分で返済不能な借金を背負いました。一度目は親に肩代わりしてもらいました。二度めは親友から大金を借りて、一括返済、さらに、2年かけて、30歳の時に友人に完済しました。まさに今現在、三度目の借金をし始めています。そんな私の借金まみれの体験をお話したいと思います。

初めての借金はマルイのメンバーズカード

二十歳を過ぎた頃から、借金をし始めました。最初はマルイのメンバーズカードでした。確か、20万程度までならキャッシングができた気がします。最初はお金が無い時に軽い気持ちで一万円借りて、翌月バイトの給料で、返していました。バンドでメジャーデビューが夢で、21歳ごろから、これはいけるかもというメンバーで活動をしていました。

コンビニの給料だけでは足らなくて借金

本格的に借金が始まったのはその頃です。大学に通いながら、コンビニで夜勤のバイトをしていましたが、当時なんのコネもなく都心のライブハウスに出ると、3~4万円程度のチケットノルマが課せられました。

一生懸命周りの人に声をかけても、たかが知れており、売れなかったチケットノルマ分は、メンバーで割り勘で払っていました。スタジオ代、機材費、チケットノルマ、何もやり遂げてないのに、打ち上げだけはいっちょ前にやっていたので、お金はどんどん減って行き、コンビニの給料だけでは足らないので、日雇いの現場仕事もやりましたが、焼け石に水でした。

大学卒業後はバンドの道に進むもお金はギリギリ

少しずつ膨らむ借金を抱えながら、大学を卒業すると、私は就職もせずに、バンドの道を選びました。バイトでしたが、IT企業に雇ってもらい、二足のわらじを履きました。その頃から、バンドを本気でやるなら、仲間もコネクションも作らなければと、毎日のようにライブハウスに入り浸り、知り合いを増やしました。ライブハウスは、チケット代が1500~2500円、ドリンクは5~600円。ライブの打ち上げにも出て、居酒屋で数千円程度。

バイトの稼ぎは16万程度。実家暮らしだったものの、世の中を知らない自分は、毎月キッチリ給料を使い切り、足りない時にはキャッシングをしていました。その頃には、バイトの給料振込みのために作った銀行のクレジットカード機能つきキャッシュカードを持っていたので、そのカードを使ってのキャッシングでした。

限度額20万を超えた借金がスタート

マルイのカードの限度額20万を超えた借金がスタートしました。でも、お金はギリギリどころか、完全にマイナスでしたけど、バンドという夢があり、恋人もいたので、とても幸せに暮らしていました。数年経ったある時、とうとうインディーズではあるものの、小さなレーベルのオーディションでグランプリを獲得しました。ライブの客は増えてきたものの、レコーディング、ライブの本数の増加、時には地方にも遠征していたので、かかるお金は増える一方。

やっとCDをリリース、CDはインディーズランキング上位になりましたが、同じくらいのタイミングに、私はパニック障害、鬱などの自律神経失調を患いました。会社も休みがちになり、それでもバンドの活動は何とか続けましたが、お金を稼げない。でもバンドにお金はかかるという負のスパイラルに陥りました。

借金が50万になり精神的にも限界を感じはじめた

やたらと酒を飲むようになり、キャッシングした金で酒を買うようになりました。とうとう銀行のカードも限度額に達し、借金は50万になりました。精神的にも限界を感じ、バンドへ脱退の意思を伝え、同時に会社のアルバイトにも休職を願い出て、精神科に通院することになりました。時を同じくして、今まで母親が見つける前にコソコソとポストから抜き取っていたキャッシングの明細が母に見つかってしまいました。

精神的におかしくなってしまっていた私は、子供のように泣きながら、自分で何とかするからと訴えましたが、母親に半ば強引に車に乗せられ、銀行へ連れて行かれました。母親はATMで50万円をおろし、僕に持たせました。その足で、さらにマルイのATMに連れて行かれ、全額返済、さらにセゾンの窓口にも連れて行かれ、残りのお金で残りを返しました。

一度は完済するも再び借金

とても情けない気持ちになり、罪悪感で一杯でした。25歳の時の話です。そして26歳から29歳あたりまでの間、とある事から鬱、パニック障害になってしまい、あまり働けなくなってしまいました。最初は当時勤めていた職場を休職し、傷病手当をもらっていましたが、精神状態が正常ではないので、少ない傷病手当を全て無駄遣いしていました。酒や本、不必要なテレビゲーム、飲み代など。

休職期間が長くなりすぎ、復帰の目処が絶たないため、ある日とうとうクビになってしまいました。傷病手当も当然おしまいです。毎月全額使いきっていたので、全く残っていません。実家だったので、親が心配して少々の援助はしてくれましたが、浪費癖がついてしまい、それでは足りません。

自暴自棄で頭がおかしくなってしまっていたのか、実はつい2年前に親に50万の借金の肩代わりをしてもらっていたのに、今度は一切働いてもいないのに、少しずつキャッシングを始めてしまいました。精神的に参っている気の紛らわしに、酒ばかりを呑んで、友人たちとの交際費として、湯水のように使いました。終電を逃して平気でタクシーに乗りました。

あっという間に限度額いっぱいに

ちょっとだけなら、アルバイトすれば返せると思い借り始めましたが、よくある話で、感覚はどんどんと麻痺していきました。その当時持っていたクレジットカード2枚のキャッシング限度額25万に達するのはあっという間でした。ショッピング利用枠も使い、やっと精神状態が落ち着き、せめてアルバイトでもしようと求人誌を見始めた頃には、合計50万ほどの借金となりました。ほんの三ヶ月くらいでの話です。会社で働いていたころの給料と同じくらいの額を人の金で毎月浪費してしまったのですそんな中ある日、親に督促状を見つけられましたが、今度はもう呆れて助けてくれませんでした。当然です。

観念して、せめて何でも良いからお金を作ろうと、居酒屋でのアルバイトを始めました。しかし、自分が楽にやれる事は平気でやって、金を浪費していたのに、ニート気質が根深くなってしまっており、働くとなると、精神病特有の体の震えや目眩などが襲ってきましたので、週に数日、6時間程度の短時間働いていました。大学生の勉学の傍らのアルバイト程度のような、8万円程度しか稼げませんでしたので、返しては借りる、片方のカードからもう片方に返して、また借りるという自転車操業を繰り返していました。責任感のないもので、その後、半年程度で、居酒屋の社員とソリが合わず、バックレるようにやめてしまいました。もはやクズです。またヤケクソで浪費して、一瞬で金は底をつきました。

友達に泣きついて借金

クレジットカードは2枚とも完全に限度額。新しいカードを申し込んでも、当然審査は通りません。ヤミ金などは、完全に人生が終わりますから、怖くて手を出せませんでした。そこで、親友とも言える、度々私を気遣って飲みに誘い、おごってくれている友人に泣きつきました。すまない、50万貸してくれと。その時は、居酒屋を辞めたばかりでしたが、わりとすぐに、パソコンを使った事務のアルバイトが決まっており、月15万ほどは稼げそうだったので、15万は稼げるから、毎月必ず分割で返していくと、約束をしました。

ある日、駅で待ち合わせ、厚めの封筒を渡され、その足で、ATMに向かいました。また人に頼ってしまったという罪悪感も強かったですが、清々しい気分になりました。心から友人に感謝し、食事をおごりました。友人ですから、利息は取られません。支払期限もありません。ゆっくりでも、着実に返していこうと誓いました。その後、2年をかけ、完済しました。1年ほどして、もう少しだけ稼げる仕事にもつきました。決して給料は多くはありませんが、自分の身一つ、節約しながら生活することはできるようになっています。

しかし、時間がたつにつれて悪い蟲が騒ぎ出して、現在また借金を始めています。二つもっている銀行のクレジットカード機能つきのキャッシュカードによるものです。二度の借金を経験したその後は、コリゴリだったので、ちゃんと節約をし、もしどうしても足りなくて1、2万円のキャッシングをしてしまっても、翌月には返していました。その他は、ショッピングリボが5万円ある程度で、毎月5000円程度の引き落としなので、別に気にしていませんでした。

4年間借金無しだったのに・・・

貯金は残念ながら全くありませんが、かろうじて大きなマイナスは作らずに30歳からの4年、暮らしていました。ですが、夏くらいから、雲行きが怪しくなってきました。まず、ある時からやたらとお腹を壊すようになり、恥ずかしい話、ガスだと思って出すと、水便が出るようになってしまいました。病院に行ったらストレス性の過敏性腸炎と診断され、30分に一回くらいのペースで少量ずつの水便を出してしまうようになり、10日ほど休んでしまいました。そこで有給をかなり使ってしまいました。

それだけなら借金の原因にはなりませんが、さらに辛い事が起こりました。私には子供はいませんが、妻がいます。貯金もない私と結婚してくれる、とても奇特で優しい、7つ年上の妻です。今年の春先くらいから、たまに、強い腹痛や腰痛を訴えるようになりました。その度に病院にいき、落ち着いていましたが、とうとう、耐え切れないほどの痛みで、夏に病院で精密検査を受けたところ、癌が発見されました。

情けない事ですが、まだ家族が、ましてや妻が病気になるなんて、思ってもいませんでした。もっと50歳以降など、歳を取ってからの事かと思っていました。貯金もなく、妻の治療費をだす事もできず、妻の実家に頼るショックを受けましたが、幸いにごく早期で、手術が成功すれば、今後も元気に暮らしていけるとの事でしたので、ここは私が頑張らないといけないと思い、毎日仕事へ行き、残業をしていました。

うつ病とパニック障害の状態が一気に戻ってきた

検査等、1ヶ月ほどの入院生活の後、妻の手術となりました。手術にて、他の箇所にも小さな癌がみつかり、3,4時間程度の手術のはずが、倍以上の大手術となりました。術後の朦朧とした妻を見て、私はショックでフラフラと倒れこんでしまいました。実は20代後半の4年ほど、うつ病とパニック障害に苦しんだのですが、その状態が一気に戻ってきたような感じです。

それから私は朝起きても全く体が動かなかったり、起きた瞬間に衝動的にビールを開けるようになり、急な発熱や腹痛に悩まされるようになってしまいました。ほとんど仕事を休みがちになり、ヤケ酒をし、酒臭い息で病院と家の往復をする日々となりました。会社は幸い融通がきくので、事情をわかってくれ、休みがちな状態になることを許してくれました。ただ、さすがに給料まではくれませんので、少ない給料を少しずつ使って、暮らしていました。ですが、たった20万程度の給料、家賃も光熱費も払わないといけませんので、短い間しか持ちません。

休まず働いて徐々に借金を返済していこうと思っています

1ヶ月で給料はなくなり、それ以降は、かろうじて働いた10万円程度の給料で暮らさねばなりません。10万円は、家賃と光熱費と、携帯料金、ネット料金と、クレジットの支払でほとんどなくなりました。もう歳も歳なので、過去のように親や友人を頼る事もできません。仕方なく、ある日クレジットカードを持ち、コンビニATMへ行きました。1万円借りては使いきり、1万円借りては使いきり。の日々です。日用品の買い物も、ネットスーパーで注文し、リボ払いにしました。

現在、借金はキャッシングで4万、ショッピングで10万といったところです。何とか妻の手術も成功し、私も今月復職したので、頑張って働いているところですが、先月の給料も10万円です。予定では、今月中に借金は合計20万に達する事は覚悟しなくてはなりません。休まず働いて徐々に返済していければと思っています。