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【借金体験談】茨城県 40代前半男性 toma3さん

今から数年前の事です。当時は仕事は薄給でしたが、遣り甲斐もあり信頼できる同僚も多く和気藹々とした雰囲気で、年齢を考えたらここが最後の職場だと思っていました。給料の低さ以外では、まったく不満がなかったからです。しかし、その安さは正直堪えるとことがあり、当時も独身だったのですが、一人暮らしの生活費と車のローンを支払うと、毎月ギリギリなほどです。

そんな生活を続けている時に、新しい上司が転属されました。その上司とは意見が合わず、半年ほどで辞めていく同僚が多くなっていきました。給料が安い事で、退職をする人は以前から多かったのですが、ここまで急激に多くなると、残った人では仕事が回らなくなります。しかし、上司は自分の責任や問題は一切問わず、残っている私達にも不平不満を言い続け、遂に私も堪忍袋の緒が切れて退職する事になりました。

無職の状態で借金30万円

そして、現在の私は42歳で派遣社員として工場で働いています。この状態になるまでは、紆余曲折があり借金問題も発生しました。前職を辞めてからは職探しの日々だったのですが、本当に正社員で採用されることは皆無です。面接すら受けられず、いつしか自暴自棄の生活となります。お酒とギャンブルにのめり込み、それは生活が破綻するほどのヤケクソ状態でした。貯金がどんどん減り、失業保険もあっという間になくなりました。

消費者金融には前職時代から時折世話になっていたので、当時も少しずつ借りていたのですが、それが遂に30万円に達した時には、非常に焦りました。なぜなら、働きながらの借金30万円と無職状態での30万円では意味がまったく違います。さらに、前職も薄給だと思っていたのですが、実際にハローワークで職探しをしていると、その給料ですら高く感じるほど安い仕事しかなく、その職にさえつけない状態だったからです。

借金返済が出来なくなって実家に戻ることに

追い込まれれば良い状態になれば良いのですが、当時の私はアル中の一歩手前のような状態です。お酒ばかりになってしまい、昼間から飲んでいるダメ人間だったのです。そして、消費者金融の返済が返せない状態になると、心を入れ替えて働く事を誓い、実家に帰る決意をしました。年老いた両親に心配を掛ける訳にはいきませんが、現実を考えると一人暮らしをする事は破綻状態で無理ですし、返済や仕事を探すにも、体を元の働ける状態にする為にも、実家に戻るのがベストだったからです。

実家は同じ県内なので、そこまで大変ではなかったのが不幸中の幸いでした。また父が軽トラックを所有しているので引越しも業者を頼まず、家族でできました。それからは、食生活を改めお酒とギャンブルを禁止にして、数ヶ月以内に求人広告に入っていた派遣の工場で働くようになったのです。最初の数ヶ月は実家に生活費を入れられず、さらに借金の返済も両親でしたが、工場で働くようになり給料の大半が両親への返済やら借金で消えてしまいますが、なんとか立ち直る事に成功しました。

借金で色々な事を見直すことができた

私は甘い性格と仕事を勢いで辞める計画性のなさから、多くの失敗をしましたが後悔はしていません。それは、人生の糧になるものであり、ギャンブルやお酒に溺れる事も必要悪だったと思っているからです。今は仕事は体力的にキツイですが充実していますし、母親が作る料理は美味しくて毎日感謝をしています。散々迷惑をかけたので、今は親孝行をしようと努力しています。以前の会社の頃は、ここまで両親に感謝する気持ちは芽生えなかったと言えます。

もし両親が健在していなかったら、自己破産まで落ちていたかもしれません。そう考えると、運だけは良かったのでしょう。上司との不一致で前職を辞めて、大変な時期もありましたが、今なら上司の気持ちも理解出来ます。仕事に対するスタンスや、真剣味が私を含めた同僚達は足りなかったのです。借金やによって多くの事を見直して考える切っ掛けになり、今では働ける充実感があります。