【宮城県 40代前半男性 ken197500さん】
人生の初めての借金は、今でも鮮明に記憶として残っていて、私が就活する前は平成バブルの最中でもありました。ギャンブルの代表格的存在でもある競馬は、「トウカイティオー」「オグリキヤップ」などが名馬として活躍していて、スポーツ新聞を読めば、必ずと言っていい程その名前を目にする頻度も高かったです。高校時代の同級生にも競馬をしていた人がいましたね。また、パチンコも競馬と同じように、連チャン機で大ヒットした「麻雀物語」「フィーバークイーン」などの名機が揃っていましたね。
私もお金が入りますと、熱くなる性格でもあり、また、好きなものや気に入ったものとなれば、周りを忘れてしまうほどのめり込んでしまう程でした。給料日は、決まっているといってもいいほど、仕事の帰りにパチンコ屋に通っていましたね。その頃のパチンコ台は、今のデジパチとは違い、グラフィックは粗くて、ゲーム機のハードに例えれば、ファミコンやスーパーファミコンでした。
パチンコの軍資金をキャッシング
しかし、その当時のファミコンやスーパーファミコンと言えば、ゲーム性が単純であるからこそ熱くなれる面白い要素があり、その当時のパチンコ台も正に当てはまりましたね。この頃から、借金をし出すようになりまして、元々給料が低かったのもありますが、お金が無くなるとその当時の給料振込みで口座を開設していた銀行のキャッシング機能付きのカードも契約していましたので、給料日前などは一回につき3万円から4万円はキャッシングしていたのか記憶として今でもはっきりと残っていますね。
また、私の住んでいる都道府県の地域は、早朝だと8時前から営業しているパチンコ屋も多くあり、夜も23時までは営業していので、パチンコに嵌り易い環境も整っていましたね。ちなみに、今でも深夜25時近くまで営業しているパチンコ屋さんもあります!その頃キャッシングしていた時は、パチンコ台もコンピューター制御はそんなにされていなく、台さえ上手く見つけることが出来れば、利益を出せる機会も多くありました。
換金率は2.5円の店で主にプレーしていましたが、例え時間は短くても、連続して当たれば2~3万円程度の換金額にはよくなりましたので、嵌ってしまいました。その当たりが来れば、一回3~4万円のキャッシングは、1万円以内で大当たりが来たと前提して、そこそこ連続して当たれば、その利益でキャッシングを直ぐに返済して残りを小遣いとして回せるほどでした。その頃のパチンコ台は、ギャンブル性もあり連チャンはしましたが、デジタルのスタートチャッカ―の戻しが7発だったので、球持ちがとても良くて回りさえ良ければ、初期投資額も抑えられ、釘を見るだけでも勝負が出来たりする時代でした。
自動車事故から借金が増えていってしまいついに家族にばれてしまう
ギャンブルによる借金が積み重なってしまったのは、丁度、消費者金融でのサラ金の問題が、ニュースなどでも出ていました。サラリーマンの代名詞とも言える東京の新橋では、至る所に消費者金融が乱立していた時代と重なりますね。私も、その頃はから借金額が大きくなり、給料の倍の借金額までに膨れ上がってしまいましたね。借金の原因は、パチンコが根底にありましたが、その他にも、年末に自動車で事故を起こしてしまったのが運の尽きです。
自分の車の修理代金を捻出する事を目的に、お金を工面するためキャッシングを積み重ねてしまい、とうとう債務残高が給料の倍を超えてしまいました。悪事は続くものであり、その月のキャッシング返済が口座への入金のし忘れが原因により、引き落としが不能になってましまいました。何と、キャッシングの利用代金の引き落とし日当日に、口座から引き落としが出来かった連絡が実家に直ぐに伝わってしまい、数年間ずっと家族に内緒にしていた、キャッシングカードでの借金がばれてしまった日でもありました。
案の定、説教を受けてしまい今までの人生の中でも、最もヒヤッとした経験ベストスリーに「借金」が入って来ますね。ギャンブルでの借金という経験があって、家族に説教された経験があったからこそ、それを教訓にして、無駄遣いをしない事や毎月コツコツと貯金をする癖がつくようになって来ました。
借金から学んだこともある
今でも、たまに1万円のピンチ回避的なキャッシングはする事はあります。その主な理由は、給料カットがありまして、家賃の更新や保険料の支払い時期になりますと、生活費が給料を超えたりれする事があるので、その時は1万円キャッシングして次の給料日まで凌ぎます。年々。実質的な手取りが減って来ているので、副業を始めましたが、お小遣い程度は稼げるようになりましたし、せっかく副業で稼いだお金は、浪費するのでなく貯蓄や投資に回しています。ギャンブルでの借金があったからこそ、お金のイロハについて色々学んだことも数多くありましたね。