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【債務整理体験談】東京都 50代後半女性 himeojouさん

私の年齢は58歳で専業主婦です。実際に借金したのは2000万円くらいだと思います。子供が小学生に上がる前にマンションの購入をしました。その頃は主人もボーナスなどで800万円くらい貰っていたのでそれを頭金にして2980万円のマンションを購入しました。でも、それは毎年ではなくて特別賞与というもので1回だけでした。

でも、何故か一旦、ローンを組むことになったらここのマンションは筆数(ひっすう)が多く、登記簿にかなりの金額がかかりました。筆数というのは土地を数える単位でこれが多かったので、手数料が多くかかったという訳です。本来なら20万円から25万だと聞いていましたが、実際には45万円ほどかかりました、最初はそれでローンを組んで変動金利にしました。

マンション購入が借金地獄の始まり

人間というのは欲張りなもので別に修繕する必要もなかったのですが、押入れが少なく、私は当時アパレルの仕事をしていたので洋服があふれんばかり沢山あり、どうしようもなく押入れを改造してクローゼットにしました。でも、出来上がってハンガーを吊るせるのは良かったのですが上には棚がありましたが、高すぎてすごく使いづらくそこは西向きだったので、かび臭くなり洗わないと着れないくらいでした。

それから、当時は子供を私立の小学校へ行かせるために塾に通わせていました。その塾がまた問題で1ヶ月のかかる費用は10万円近く、その上春期講習、夏期講習などでそれぞれ10万円近く取られ、トータルで2年間通っていたのでその金額は2年で200万にも膨れ上がりました。それでも、そこでやめるわけにはいかず、何とか子供を私立の小学校へ行かしたくて最後まで通わせました。

自転車操業であっという間に借金で首が回らなくなってしまいました

その借金はカードで補い何とかなりましたが、家のローンは月に4万弱、ボーナス時に20万円となりました。今、思えば何で800万も頭金を入れたのにこんなに借金が多いのか不思議でなりませんでした。でももう、後へは引くに引けず、そのまま借金を重ねていくうち、ご存知の通り自転車操業のようになり、あっという間に借金で首が回らなくなりました。

家族で相談しましたが、このままでは、破産宣告せざる負えなくなり、仕方なく自己破産を申し立てしました。今でも忘れません。八王子の裁判所に何度も通い、免責がでるまで何回となく通いました。いざ、自己破産した人間は本当に惨めでした。差し押さえるものなどあまりありませんでしたが、車を持っていかれた時には本当に恥ずかしい思いをしました。近所の人達に白い目で見られ私は逃げ出したくなる思いでした。

でも、主人がいない時でしたので私が立ち会うしかありませんでした。あと、何といっても1番心配だったのは次に住むところでした。お金はないし、もちろん引っ越すお金なんかあるはずがありませんでした。不動産屋が来るというとき、いや、不動産屋が来たとき1番緊張しました。これから住むところがないのですから。でも、幸いなことに不動産屋がここに住んでもらっても構わないということでしたので、その時くらいほっと安堵した時はありませんでした。

自己破産以来10年間カードは作れていません

でも、その経験をして以来、カードは10年間作れません。といいますか、いまでもカードが作れないのは不思議でなりません。大体は免責がでれば、それで借金のブラックリストからは削除されるはずなんですが、何故か何回カードを作ろうとしても作れません。刑法で言えば、罪を犯してその罪を償ったのにまだ犯罪者のように見られる。

でも、私達の場合は人を殺したわけでもなく、そんな大罪を犯したわけでもありません。それなのに、もう30年も経つというのに未だにカードが作れないのには少々、苛立ちさえ感じます、まだ30年前のことが記載されていて除外されていない事自体がおかしいと思います。裁判を起こして解決することもできますが、うちでは、カードなんか持たない方がいいといって諦めている次第です。でも、一般的にはカードが作れないこと自体がおかしいと思います。私はこの件に関しては未だに納得がいきません。