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【債務整理体験談】山口県 20代後半男性 sanyo_cyofu_toyoさん

私は山口県に住んでいる29歳男性です。09年に九州の私立大学を卒業後、そのままその街の自動車ディーラーに就職して約四年、その後夜勤専門のホテルマンとして1年、地方警察官として一年勤務しましたが、ホテル時代の夜間勤務と警察官の日、夜こなす不規則な勤務で体調を崩し、今は退職して転職活動中です。

私が借金を作ってしまったのは最初に勤めたディーラーでのことでした。ディーラーというのは勤務の割に給料が安く、また自分自身仕事にやりがいを見いだせずにいました。そんな時、給与振込のために作った銀行口座のカードにキャッシング機能がついていることを知り(作った時は勧められるがままに作ったので機能が付いてるのは分からなかったんです)、遊びのお金欲しさに2万ほどキャッシングを使ったのが始まりでした。

キャッシングしたお金はパチンコやスロットに費やしていました

少額だし、分割もできるし。という軽い気持ちで使いつづけ、その大半をパチンコやスロットに費やしていました。また、私は金の使い方が下手で、実家に帰るときなどは下道でも帰れる道を毎回高速を使ったり、物がなくなるとそれを探そうともせずに「また買えばいっか」などといった軽い考えでお金を使ってしまうということが数多くありました。

そういうことが積もり積もっていくうちに、キャッシング枠はあっという間にいっぱいになってしまいました。でもそれらで一度覚えた味は忘れることができません。次はショッピング枠を使って新幹線の回数券を購入し、それを売ってお金にするということをしていました。支払いはリボ払いに変更していましたが、これも実はかなりの高額な利息がつくということを後になって知りました。

狂った金銭感覚は直らずに消費者金融で借金

ですがそれでも自分の狂った金銭感覚は治らずに最終的には数社の消費者金融に手を出してしまい。総額では200万近い金額になっていました。200万というのは大金で、今思えばとんでもないことですが、当時の自分はとにかく考えが甘く、なんとかなるだろ。という考えしかありませんでした。

しかし、さすがにまずいと思い一度法律事務所に借金の任意整理をお願いしたことがありました。その時は返済額を少しでも減らしたいということと、頻繁にかかってくる督促の電話を止めて欲しいという思いがありました。というのも金融会社は社名を明かさずに会社に連絡をすることが多々あり、それが頻繁にかかってくると自分がなにかしているのではないかと事務の人に疑われるのがとても嫌だったからです。(実際には疑われていましたが)

任意整理して催促の電話が無くなった

結果的には月々の支払額はほとんど変化はありませんでしたが督促の電話が止んだので気は楽になりました。そこから毎月定額を払い続けたのですが、しばらくして自分が支払いを滞納してしまいまい、整理をしてくれたところからも依頼を降りる旨の書面が届き、結局元の状態に戻っただけでなく給与差し押さえ通知が会社に届き会社にもバレ、両親にもバレて結局両親が借金の残金全額立て替えてくれました。

その後私は実家に帰ってホテル勤務をしながら警察官に転職をしました。親に立て替えてもらったお金はホテルの時のお金と警察学校に入っていた時の給与でなんとか返すことができました。余談ではあるのですが、警察学校は県にもよりますが衣食住全て合わせても月2万位だったので、そのあいだに浮いたお金の大半を両親の返済に回しました。

借金はまさにアリとキリギリスのようなもの

最後に借金をしてから3年近くが経ちますが、借金というのは思えばカンフル剤のようなもので特に遊びのお金というのは車や住宅のローンと違ってなにも手元に残らず、残るのは文字通り借金だけです。

一時的に楽をしても後でうんと辛いことが残ってしまうのです。まさにアリとキリギリスのようなもので、結局最後に笑うのはアリの方なんだなと身をもって実感しました。今は再び求職中ですが、二度と同じようなことを繰り返さないよう、また、同じようなことをしようとしている人に対しては全力でそれを阻止できるように行動していきたいです。