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【借金体験談】東京都 30代前半男性 sasazukaさん

「借金をする人間にはならない。」なんて学生の頃は思っていた。自分のキャパを越えるなんて色んな未来がある中その頃は思ってもいなかったのだろう。しかし二十歳を越え親元を離れ、いざ生活をしてみるとなんだかお金に余裕が無くなっていく。薄給というのも一つの原因ではあるけれど、最終的な答えは生活設計の問題だった。

借金はサラ金だった。実に簡単に貸してくれる。それが悪いか?と聞かれれば無論、借りる奴が悪い。今だってそう思う。いつだって「今回だけ」と思いながら借りていく。どんどん返せなくなっていく。貧すれば鈍するという言葉のように感覚が鈍くなるのを感じた。最初は付き合いという「見栄」の為にお金を借り、最後は生活費の為にお金を借りる。気持ち的には罪悪感と金を得た安心感が入り混じった実に奇妙な気分だ。

借金とは8年間の付き合い

最初に借りた金は50万円だったが今もそれから変動していない。利息はおよそ月7000円。自分は今年30歳だが、もう借金とは8年の付き合いになる。これだけ付き合っていると不思議なもので月7000円を払っている事が普通の感覚になっていく。これが「鈍」と言えば間違いないだろう。自分は鈍してしまった。当然利息だけで50万以上支払っているが、その事の実感が薄れてしまってるのだ。

周りからはそんなものとっとと返せと促されるが、未だ薄給の域を抜け出していない自由気ままの自営業の自分にとっては、おいそれと返せる金額ではないのだ。ゆっくり付き合っていかなければと思っている。まさか10年近くの付き合いになるとは思ってもいなかったが、自分の人生設計に苦笑いを浮かべるしかない。50万円の借金だから少し甘く考えられているのかもしれないが、これが数百万だったらそれは相当の心労だろう。

これ以上借金は増えないと思うが生活は質素そのもの

幸か不幸か30歳になり付き合う友人も限られて、また趣味も特にない自分はこれ以上借金は増えないという自信はある。年齢に感謝すべきところは、自分も含めみんな忙しくなるというところだ。いつまでも遊んでいられない、無駄な浪費が減る。今、借金をされている方に伝えたいのは今の金額以上を借りる「環境」を脱却するのが一番だと思う。もし自分が永遠に20歳だったら今頃、借金は2億くらいになっているだろう。それほど20代の頃は遊んでいたし付き合いも多かった。

ただ借金は増えないが生活は質素そのものだと思う。食べるものと言えば「乾麺系」ばっかりである。安い上にパスタなどはレパートリーも豊富だから飽きないのだ。ただ3日連続ぺペロンチーノを食べていると無性に虚しくなる瞬間が訪れる。ぺペロンチーノは調理するにあたっての材料の乏しさから別名「絶望のパスタ」と言われている。絶望を味わいたくないならせめて食事は少し変化をつけた方がいい。ぺペロンチーノ→ナポリタン→明太子パスタなど自分を騙さなければいけない。正直な話3日連続パスタなんて「絶望」以外の何者でもないのだから。

借金したのは自分の意志の弱さと認識して強さに変換している

借金は意思の弱さだと思うし、意思が強くなったというのは借金を返したその瞬間だと思う。だから自分はまだ精神薄弱なのであろう。自分は借金をして何が残ったか考えてみると「物」はなにも残っていない。ただ今の自分に繋がっているのは確かなのだ。ウジウジ考えていても仕方ないので借金を強さに変換している。

他人に対して傲慢な自分や駄目な自分が出てしまった時「俺は借金をしている人間で、返済のめどすら立っていない駄目な奴だ」と自分に言い聞かせ他人に優しく接する。その習慣を借金返済まで続けていけば完済後きっと真人間になっていると信じている。それが借金の利息に対しての自分への試練でもあり勉強代だと考え今日もぺペロンチーノに使うニンニクを刻んでいる途中なのだ。