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【債務整理体験談】北海道 30代後半男性 patariroさん
今でこそ普通の生活をしていますが私も実はかつて多額の借金を背負っていた人間です。そんな私が経験した借金にまつわる体験談をお話したいと思います。まず初めて借金をしたのは車のローンです。車体等コミコミで計150万の3年ローンでの購入でした。それが後に続く借金地獄の入り口でした。20歳の頃の私と言えば全くの世間知らずでお金の価値なんぞ当然わかるわけもありません。
初めて借金したのは21歳の時
良い話に乗っては借金をし、車が故障した時にもローンで修理したりとやりたい放題、そんな中、とうとう生活も出来ないくらい生活を圧迫していきます。21歳になる手前に生まれて初めて消費者金融と言うものに手を出してしまいます。元々消費者金融に対して良いイメージはありませんでしたが、やたらコマーシャルが流れたり、明るいイメージも当時としては若干ながら持っていた事、また生活が苦しかった事から後先の事を考えずに手を出してしまいました。
借りた時のイメージとして、とても好感の持てる接客、私が持っていたイメージとは全くの正反対で借りやすい事から増額をして今考えたらおかしいと思うくらい利用するようになっていきます。そんな事を繰返し、私が22になる頃にはもう何社からも借金を繰返していきます。私が借金を繰返していく課程の中で時には融資を断られる事だってありました。そんな時に利用したのが雑誌の切り抜き等に掲載されていた消費者金融です。厳密にはそういったところに掲載されているところと言うのは実際の金貸しを行っている訳ではありません。審査の緩そうな消費者金融を探してそこを紹介して、融資が実行されたら融資額の何割かを取るといういわゆる紹介屋と言う業者です。
自宅や会社にほぼ毎日業者から取り立ての電話が
借金を繰返して正常な判断はもはや出来なくなっていた私は、藁おもすがる思いでそういった違法業者にも手を出していたのです。世の中と言うのは不思議なもので、一度そういったものに手を出してしまったらそれが癖となり次々とそういう事を繰返す様になります。当然毎月の給与では生活が出来ず、次第に借金返済の為に働くと言った悪循環に陥っていき、更には借金すら返せなくなり自宅や職場にはほぼ毎日電話がかかってくる様になります。
そんな事が常態化した私には消費者金融はおろか、周りの人間からも冷たい目で見られ、公私ともに訳がわからない状態になっていきます。そんな私にはそのうちどこで調べて来たのかどこともわからないところからハガキが届くようになります。もう首が回らない私にとってはそれが救いの手にも見えたのでしょう、ハガキに記載されていた連絡先に電話し、さらに記載されていた場所に赴き、そこで融資を受ける事が出来ました。とてつもない利息ですが、つまりヤミ金です。
ヤミ金すら神のような存在に見えてしまい
当時の私にとってはヤミ金でもお金を貸してくれる言わば神の様な存在でした。そこで味をしめた私はスポーツ誌やら雑誌の切り抜きを見てはそういった業者に片っ端から連絡し、多額の利息の元何とか融資を引き出していたのです。今考えたら、ヤミ金に手を出す時点でもう終わりだったと思います。
20で初めて借金をしてからおよそ3年、そんな地獄の様な生活にも終わりが訪れます。救ってくれたのは当時の職場の上司でした。当然ながら生活するほどのお金はなく、ライフラインすら止められていた私、しかも止めどなく職場にかかってくる催促の電話、そんな状況に業を煮やして私に自己破産を勧めます。当然説教はされたもののその日一日私のそばに付き添ってくれた事は今でも忘れません。
職場の上司の勧めで自己破産を申請
その上司の勧めで私は紹介された法律事務所に出向き翌日自己破産の申請を行い、以降取り立てはなくなりました。借金の総額は480万円ほどでした。ちなみにその時の生活費はあろうことに上司が用立ててくれました。間もなく自己破産が認められましたがもうあの当時の生活には戻りたくありません。