【長野県 30代後半男性 cuneさん】
私は現在36歳の会社員です。私が借金を背負ったのはいまから12年くらい前の24歳の時でした。その数年前に私に兄弟ができ、実家の生活が苦しくなったのが引き金です。というかそもそも、恥ずかしながら私の両親は昔からお金に悪い意味で頓着がなく、あちこちで借金をしてしまうような人達でした。
子供が生まれ、ますます生活が苦しくなったのか、私に仕送りを頼む金額も年々増えていきました。その頃はすでに消費者金融はもちろん、闇金一歩手前のようなところからも借りていたようです。一念発起して始めた事業も失敗し、その頃には借金が総額いくらあるのかもわからない状態になっていたようです。仕送りもだいぶ増やしましたが、焼け石に水だったようです。
両親の借金は600万円・・・
そんな実家の自転車操業が数年続き、兄弟の小学校入学する頃にいよいよ利息すら返せなくなったそうです。その時に親族一同が集まって親族会議が開かれました。その時に私も呼ばれたのですが、所詮親の借金だし、自己破産すれば問題ないでしょ、と考えていたため、関係者だけど無関係、という立ち位置で聞いていました。
会議が始まって、金額が公表されました。現時点でわかっているだけでも総額600万。現実感の無い金額です。高級車買えるなー・・・と思ってたのを覚えています。金額の公表が終わって親族の代表らしき人(親族のはずだけど顔を見たことはほとんどないのでほぼ知らない爺さん)が「借金は親族一同で立て替える」と言い出しました。
親戚が立て替えた金額が私の借金に!
・・・おお、ラッキー。なんかしらんけど助かった。と考えていた私の耳に飛び込んできたのは、次の衝撃的なセリフでした。「立て替えた金額は長男が責任もって返すこと」・・・長男て俺じゃないですか。俺が立て替えるの?600万を?高級車買ったわけじゃないのに?
当然猛抗議しました。自己破産でも債務整理でもすればよい、と。しかし親族の爺さんの言い分は「闇金に家族や我々親族に危害が加えられてもいいのか!」の一点張りでした。
借金のほとんど消費者金融だし、危害加えるとかどこの闇金だよ・・・と思いましたし、実際それを説明しました。相手はただの会社だし、話し合いをして淡々と事後処理すればよい、と主張。しかし親族の方は「お金を貸す=裏街道闇金」というイメージらしく、全く聞く耳をもってもらえません。年配の方にとっては消費者金融も闇金も町金も商工ローンもすべて凶悪な裏街道の金貸しみたいです。
その頃は自己破産をすると人間らしい生活ができなくなる、と考えている方はいましたし、債務整理なんて言葉は一般的ですらなかったのです。その理不尽な決定から数週間もめましたが、親族一同数十人による圧力によって体力も気力も疲弊した私は立て替えを了承してしまいました。
24歳で600万円の借金を背負うことに
その時24歳、600万の借金を背負って人生再スタートです。(悪い意味で)親族には家族や兄弟がお世話になっているので、踏み倒すわけにはいきません。返済を遅らせるわけにもいきません。当然、自己破産も債務整理もできない凶悪な借金です。
それから借金を返すためにひたすら働きました。本業と深夜のアルバイト、早朝のコンビニバイト、土日は単発の仕事のある人材派遣会社で働きました。その時の月の手取りが約35万。そのうち20万を返済に充ててました。2年半で返せる計算です。しかし1年を過ぎた頃、体を壊し(当たり前)仕方がなくバイトを減らしました。(余談ですが、翌年の税金がすごい額になっていてこちらも修羅場でした)
3年間で600万円の借金を完済しました
そこからは月10~15万返済で3年かかりました。最後の返済分を親族に渡し、借用書を破ったときは人生で一番気分が良かったです。このとき私は29歳、20代の半分が借金返済で終わってしまいました。しかし私は清々しい気分でした。20代で600万の借金を返した奴なんてそうそういないだろう、という意味不明な満足感が全身にみなぎっていました。
後日、あの時親族が立て替えたせいで新たな借金ができるようになった両親がこさえた借金第二弾の親族会議が開かれることになったときはさすがに逃げました。
もう付き合いきれません。その時は債務整理がある程度一般的になってきたので、弁護士(金額がそれほどではなかったので司法書士だったかもしれません)にお願いして債務整理をしたそうです。