san_888

【借金体験談】北海道 60代前半女性 san_888さん

食品加工会社を定年で退職してから、四年が経ちました。現在は長年の夢だった専業主婦の生活を謳歌している64歳です。しかし、こうして居られるようになったのも、ここ5〜6年の事です。それ迄の我が家の暮らしは決して他人には明かせない悲惨な状態でした。それでも子供がまだ幼い頃は共働きでも有りましたし、贅沢は出来なくともそれなりの暮らしを楽しんでいました。しかし息子が中学に上がる頃でしょうか、それ迄順調だった私達の生活が変化し始めたのです。

夫の両親は一応はまだ現役でした。父親は小さなガス会社の臨時職員、母親は保険のセールスをしていました。実はこの時既に実家は火の車だったのです。しかし、若い私達夫婦に夫の実家の財布の事情等わかる筈も無く、それどころか夫の勤務先の経営状況が思わしくなく給与を減額される等、自分達の事で頭は一杯だったのです。

次々に義父母の借金が明らかに

そんなある日二人で夫の実家を訪ねた時の事です。義父と夫の居ない隙に少額で良いのでお金を貸してくれないかと義母に言われたのです。これ迄も30万貸して欲しい、10万どうにかならないかと頼まれ用立てた事は有りましたが、半分程は返済してくれましたし、全額戻って来ない事に多少の不満は有りましたが、何よりそんな親の姿に心を痛めているのは夫だろうと諦めていたのです。

けれど、その時の義母の様子はかなり切羽詰まったように感じました。財布にあった五千円を渡し夫に言うか言うまいか迷いましたが、後で知るよりはと帰り道で話しました。夫の表情が曇ったのは言うまでも有りません。その小さな出来事が切っ掛けとなり、次々に義父母の借金が明らかになったのです。兄弟、親戚、知人に総額数百万円の借金でした。年々老いて年金に頼るだけの生活になりつつあったのに、昔のままの暮らしを続けた結果だったと思います。

義父母が作った借金の火の粉を私達が全て被る事に

結局は、この二人が作った借金という火の粉を私達が全て被る事になったのです。兄弟もおりましたが其処も当てにならず、此処から借金に追われる日々が始まったのです。僅かの蓄えも何の助けにもならず、後は持っていたクレジットカードのキャッシングを利用しました。その頃は規制も無く全部で三百万程の借金をしました。カードは若い頃より所持していましたので、高額の貸出が可能でした。良かったと言えばそうなのですが、この多額のキャッシングが私達の生活を一気に狂わしていったのです。

当然、月々の私の給料は全て返済に回りました。住宅ローンから保険料、果ては電気料金迄滞納するようになり、まさに返しては借りるの自転車操業でした。この暮らしが何年も続いたのです。私の両親に助けを求めようとも一時は考えましたが、やはり夫の事を思うと言い出せませんでした。そんな時、今迄のストレスが祟ったのか義母が倒れたのです。末期の癌でした。それを知った時もう頭の中は真っ白でした。入院費と治療費をどう捻出すれば良いのでしょう。半ば投げやりに宝くじで当てるしか無いよねと義母の見舞いのついでにロト6を一口購入しました。

ロト6で奇跡が起きた!

ところが、なんと奇跡は起きたのです。嘘のような話ですが本当なのです。丁度全てをクリア出来る位の金額が手に入りました。パソコンの当選番号を幾度と無く確かめ、夫と息子と三人で抱き合って喜びました。宝クジは本当に困っている人に当たると聞いた事が有ります。まさにそれでした。

全てを返済した時の事はどう表現すれば良いのか分かりません。開放感と脱力感が相混ざって何とも言えない気持ちでした。知恵もなく只汲々としていた私達に手を差し伸べてくれた神様に感謝です。義母は一年程の闘病生活の後に他界しました。お金の事は心配しないで大丈夫と伝えた時のホッとした顔を時々思い出します。今は夫と二人、やっと落ち着いた穏やかな時間を過ごしています。あの大変だった日々も、あの驚くべき出来事も、私達の人生のとっておきのエピソードとなりました。